110、人の幸せは、愛かおカネか? - 人の幸せとは
時として、「愛さえあれば・・」なんて女性にお目にかかります。でも、それって本心でしょうか。ちょっと疑ってみたくなりますね。当たり前のことですが、愛だけでは食べていけません。
最低限度の収入というものがなければ、愛を継続していくことさえ出来ないのです。かといって、おカネだけではなんとも味気ないものとなってしまいます。ですから、やはり幸せというのではないかもしれません。
「愛」か「おカネ」か、この選択は決してカンタンなものではありません。ましてや女性の身であれば子を産み育てることから、一般的にいえば生活のための糧は男性に頼ることになり、男性に比べてより深刻な問題とも言えそうです。
かつて読んだ本にキルギスの作家が著したものがありました。その中での登場人物である“祖父”は、
「ああ、わが息子よ、金のある所にあたたかい言葉は住みつけない、美しいものも住みつけない」のだと言い、続いて「ああ息子よ、人が知恵ではなく、富で飾るときこそ、あやういのだ!」
とも語っておりました。
ここで注意しなければならないところはこの“祖父”は、なにもおカネなどいらないと言っているのではないということです。それのみに偏ってしまう人の持つ底なしの欲望こそが危険であり、かえって人をして不幸へと落としてしまうとの警告なのです。
さて、今日モノが溢れ、おカネもそれなりに自由に使えるような社会のなかで生きているといえます。しかし、だからといって、もうモノもおカネもいらないとはならず、返ってさらなる欲望へと自らを駆り立ててしまっております。つまり、欲望の達成は、さらなる欲望を生むだけともなりかねないのです。
そして、欲望渦巻く環境には人としての幸せなどあるはずがないのです。そんなことから、収入の良し悪しだけで男性を選ぼうとする女性や、その一方で収入の良さだけで女性からモテようとする男性。
このどちらも人としての幸せからソッポを向かれる危険がありますからお気をつけて・・。とりあえず普通の生活ができて、後はニコニコと笑って過ごせることこそ、人としての幸せは近いと言えるのではないでしょうか。